いままで何本と格闘映画やチャンバラを主体とした剣戟映画を観てきたが、やはり実際の「武術」と映画に於ける見映えを重視した「殺陣」の融和性というのは作る側からしたら、とても難しく奥深い物だと改めて認識するばかりだ。
其は我々「観る」側としても何がリアリズム武術で、どれが見映えの殺陣かの判断も鑑識眼からなる視点がなければ、ハッキリとせず見分けもつかないであろう。

あくまで自分の独自の仕分け視点ではあるが、格闘アクション映画の中での「リアリズム」と「見映え」の系譜と其の違いを解体検証してみたい。
まず映画の中での、手足を使った徒手格闘に武術を織り込む事の意味は何か?と考えたらソレは「闘う術に長けたキャラクターを作る上での説得力を付与する為」に他ならない。
ただ手足を振り回す喧嘩ファイトと戦闘のプロでは無論、後者の方がリアリティある強さを印象付けられるだろう。
分かりやすい徒手格闘の進化の例では007シリーズがある。

初代ジェームズ・ボンドであるショーン・コネリーの戦闘スタイルは拳を振り回し取っ組み合うのが主であり、とてもシンプルな動作設計だ。
名勝負と云われている『ロシアより愛をこめて』での列車内格闘も武術的要素はほぼ無いと言える。
視覚的にハッキリと進化の差が判別出来るまでになったのは2006年の『カジノ・ロワイヤル』の格闘からだろう

ボーンシリーズ以降という事もあり動作設計には実践スタイルな技を随所に織り込み、尚且つ洗練されたスピード技だけではない、コネリーボンド時代からある武骨なタフガイ・イメージをも残す
1995年の『ゴールデンアイ』の動作設計も実践技の描写が幾つかあり、なかなか良く出来ていていたのだが、まだ突出した見せ方では無く地味に見えてしまう段階ではあった。

ピアース・ブロスナンは歴代ボンドの中で一番動きが洗練されている様に思う。
2002年の『ダイ・アナザー・デイ』の序盤にはフェンシング勝負があるのだが、ハリウッドのキングオブ殺陣師、ボブ・アンダーソンが振付け指導しただけあって出来が良い。

実は『ロシアより』にもスタントで参加していたらしいが、やはりかつての欧米が得意としたのは格闘よりも剣術の表現だろう。
格闘表現の進化前の例外では『女王陛下の007』で二代目ボンドだったジョージ・レーゼンビーがいる。
其の戦闘スタイルは首締めからの解除方等、実践技とも言える独自の型が見られる。
武術を多少嗜んでいたレーゼンビーの格闘描写は初期007の中でも際立った物があった。
こうやって歴代007の戦闘描写を並べてみると比重としてはリアリズムの方向性が強い
ボブ・アンダーソンがハリウッドで振り付けて来た剣術表現は別として初期~中期007の格闘表現の描写が喧嘩ファイトに似た形となっているのは、当時の欧米では見映えを重視した技術がまだ開拓されていなかったからだ。
尚且つ60年代までの欧州では優れた実用性のある武術の認知はボクシングとレスリング以外では殆ど浸透していなかった。
ソレ以外にぼんやりとイメージにあるのは、東洋のカラテとジュードーといった具合であったろう。
そんな中で007よりもずっと早くに格闘描写に説得力を持たせる為に武術技を取り入れたハリウッド映画が存在した

1962年の『影なき狙撃者』では工作員との突発的な戦闘でフランク・シナトラが空手の型を見せる
相手の背面に肘打ちを食らわせる等、ハリウッドでは最も古い実践リアリズムを追及した映画だ
そして「見映えの殺陣」についての歴史と推移だが、今日では香港によるカンフー映画の格闘と武器戦闘が最も洗練されかつ派手というイメージがある

だが007の時代の時点では中国、香港共に役者の動きや動作設計には見映えを殆ど備えていなかったと言っていい
中国映画も当初はリアリズム方式だったのだ
1949年から黄飛鴻を演じてきたクワン・タッヒンは中国武術の習得者で、主に南派少林拳と洪家拳の型を劇中で披露する
其の互いに繰り出す技に精度はあまり無く型を再現しただけで華麗さを意識した物ではない
あくまで型のリアリズム表現であり実践戦闘を再現しようという類いの試みではなかったのだろう
後に続く60年代の香港武侠映画の剣劇に於ける殺陣でもソレは同様である。
立ち回りには進歩が見られ、型自体もやはり実践リアリズム的だが、ソコにはまだ見映えは存在しない。
一定のテンポを役者が演じ動く、振り付け臭さがまだ目立つ段階だ。
1970年のジミー・ウォング主演作の『吼えろ!ドラゴン立て!ジャガー』は香港初の格闘を主体としたカンフー映画とされているが、其の動作設計と技の精度はタッヒンの時代の中国カンフー映画とほぼ同じと言っていい。
合間のテンポはどれも似通った物であり『影なき狙撃者』の格闘とも類似していた。
僅か一年後の1971年にはブルース・リーが『ドラゴン危機一発』でリアリズムの中に見映えを盛り込んだ画期的な動作設計を見せた。
テコンドーを用いた派手な見映えの蹴り技も今までには無かったのだが、突出なのは此の互いの手技による攻守のテンポの速さだ。
相手の技を捌き抑えようとする、この上体の連続した手技の動きはトラッピングと呼ばれる高度な技術だ。
同時に相手の足を絡めとり下半身のバランスを崩そうとする技も、今までのカンフー映画では見られなかった実践リアリズムな描写である。
ジークンドーに取り入れられたフィリピン武術カリのナイフを使用したトラッピングと比較したら其の共通項は一目瞭然だ
この動きも画面映えしている様に見えて惚れ惚れもするのだが、興味の無い人から見たなら何だかよく分からない動きであろう

つまりは見映えよりも、リアリズムに寄せた表現と言える
ブルース・リーは中国映画で初めて俳優個人が魅せる特色ある動き、つまり見映えの殺陣を織り込んでみせ、更に今までは武術を見せる型の再現でしかなかったリアリズムをより実践的な表現にして魅せた。

だがアクション映画史に於いて、見映えの殺陣を意識して魅せたのはブルース・リーが最初では無い。
クワン・タッヒンの時代より遥か前、日本のサイレント期の時代劇はどの国よりも優れた見映えの殺陣を魅せる唯一無二の存在であった。
同時代のハリウッドや中国映画と比べても其の差は歴然であり舞踊から培った戦前の剣劇役者達の立ち回りは躍動的で、如何に派手に見えるかの工夫がなされていたのだ。
戦前の時代劇から活躍した七剣聖と謳われる阪東妻三郎が其の見映えの殺陣の開拓者だ
バンツマが主演した『雄呂血』以前の殺陣は歌舞伎の延長であり、ワンアクション毎にカメラに向かい見得を切るというのが主流であった
バンツマはソコに連続的動作を加える事で見映えの中にリアリティを盛り込んだのだ
このリアリズムと見映えの先駆けである殺陣の様式をより派手な物として発展させたのが、同じく七剣聖である嵐寛寿郎だ。
鞍馬天狗で魅せたアラカンの殺陣は歌舞伎の見得に舞踊と剣術動作を組み合わせた物だ。
実践剣術よりも派手に動く其の立回りは、香港カンフーアクションに近い身体芸の域であった。
その後見映えの殺陣は様々な進化を遂げていき日本の時代劇が60年代のブルース・リーに影響を与えたのが勝新太郎の『座頭市』だ
居合いの技術は実践リアリズムに見えるが、この回転しながら斬ると同時に翻る様は見映えの誇張表現である

リーが着目し魅了されたのは派手な見得とも言える"魅せる"技術だ
反対に見映えが殆ど無い実践リアリズムの殺陣と言えば1954年の『七人の侍』で宮口精二が見せたこの動きだ。
当時殺陣と云えば東映の華麗な舞踊チャンバラが主流だった事に意趣を返し、どうリアルに見せるかに拘った動作設計だ。
体を一歩引いて腰を落として切る技はプロの様だが宮口には剣術経験は無い
黒澤明の映画だと『用心棒』や『椿三十郎』など優れた動作設計の力により実践剣術を扱った殺陣の例外は幾つかあるが、基本時代劇の殺陣とは実践技よりも派手に魅せる見映えの体系で発展していった物だ。
構えや足運びの使い方等、舞踊式チャンバラな殺陣と実際の剣道では見た目の違いがかなり出る。
刀の持ち方の癖や足を大きく開く等、舞踊式な殺陣は構えが特徴的だ。
其の理由は単純明快で「カッコいい」からに他ならない。
映画を観てる側からしたら、隙の無い動きを前提としたパターン数が少ない剣道試合の動きや無駄を省いた剣術技よりも、視覚的に分かりやすい物の方が惹き付けられ易いのだ。
この殺陣の表現法の流れは鞍馬天狗のアラカン時代から既にあり、由緒正しいものだ
コレ自体を歌舞伎を紀元とした見得とも呼べる

昨今でも『るろうに剣心』の佐藤健や『ブンラク』に出ていたGACKTにも見映えの系譜が良く表れている
特にGACKTは其の芸風もあってカッコいいポーズをやらせたら天下一品だ
ここまでで実践リアリズムと見映えの殺陣の違いを述べてきたが、本題はこの二つが如何に上手く共存が出来ているかの有無の例を比較する事にある。

其の実例として実践リアリズムでは特徴的な型を見せる近接戦闘術ケイシ・ファイティング・メソッドをベースに語っていこう。
ケイシは1980年に創始された割かし近代の武術だ。
様々な古武術から着想を得たという其の技の型は肘の使い方が実に特徴的だ。
頭部を守りながら肘を前に突きだし、攻守を同時に展開するフォームは合理的にも思える。
ここでケイシに似た構えと技を見せる他の格闘術と並べて見てみたい。
肘を使った武術と言えばまず真っ先に思い浮かぶのが、トニー・ジャーの映画『マッハ!』でもお馴染みな古式ムエタイだ。
危険な技を排除した試合での競技ムエタイとは違い、古来のムエタイは相手の急所を破壊力のある技で的確に突いていく。
肘での打撃は攻撃範囲が狭いので、相手の懐に入ってからが勝負となる。
防御からのカウンター等、ケイシが売りとしている護身術としての特徴も見られるのが最たる共通項だと感じた。
トニー・ジャーのレベルまでになると古式ムエタイが曲芸の様に見えてくる。
肘だけでは無くアクロバットに近い派手な蹴り技の型なども実際にあるので、古式ムエタイは実践リアリズムだけではなく映画の中の見映えにも適した古武術と言える。
次に特徴的な肘の使い方を見せるのはイスラエルの格闘術クラヴ・マガだ。
クラヴ・マガの場合、肘での打撃は主体の技では無いが衝撃から肘で頭部を守りながら攻撃に移行する一部のフォームはケイシとも酷似している。
護身術に特化させたクラヴマガ・ジャパンなど違う流派が幾つかあるが、肘ガードの使い方が特徴的なのはイスラエルの本場コマンドー・クラブ・マガの方だ。
片肘でガードした状態で相手の間合いに入り、空いた片手で顔の急所を突く「ライノー」という技は受け身ではない、自ら攻めていく戦法スタイルだ
ケイシや古式ムエタイとは違い、肘での攻撃を狙った物では無いが、ガードの有効性という意味では同じだ。

他にも両肘のまま攻める「ダブルライノー」や「ヘルメット」等のフォームがあり、其の攻守の構えを重要視した戦闘スタイルはケイシとも共通するファイト理念だろう。
護身術特有のカウンター技も幾つかあるが、軍式クラヴ・マガは自らガンガン攻めていく技も多い。

ナイフや銃を持った相手を想定した武装解除方法など、如何に一対人戦を有利にし制するかに特化しているのが、多人数戦を想定し得意としてきたケイシとの大きな違いだ。
クラヴ・マガを扱った映画では、ジェイソン・ボーンシリーズやジェニファー・ロペス主演の『イナフ』に『ミッション:インポッシブル3』等がある。

M:i:IIIで見せるトム・クルーズが頭痛を抱えながら頭部をガードして肘で攻める攻守のフォームはケイシとソックリだが、軍式クラヴ・マガからの採用だ。
次はケイシ・ファイティング・メソッドが如何に映画特有の見映えの殺陣に馴染んでいるか、あるいはそうではないかを検証していこう。

少し前にバットマンのダークナイト三部作の格闘を他のアメコミ映画と比較した、まとめを書いたがソコから更に掘り下げた形になる。 https://togetter.com/li/1481076 
ケイシ・ファイティング・メソッドが映画に採用されたのは2005年の『バットマン ビギンズ』が初である。

バットマンの犯罪者を相手にするというキャラクター設定は、集団戦や1度に多人数を相手にする事を想定して設計されたケイシとのコンセプトの合致を映像で示して見せた。
ビギンズの映像ソフトに収録されているメイキングにはケイシのノウハウと技の一部が、創始者達の演武で確認出切る。

間合いを詰めて、連続的に肘での打撃を素早く叩き込むフスト・ディエゲスの此の動きが、ケイシの技やコンセプトの基本イメージと捉えて良いだろう。
基本ビギンズ、ダークナイト、ライジングの三部作でのケイシの格闘描写は、見映えの点では視覚的に失敗していたと以前に述べたので、他の作品を軸にしてダークナイト三部作にも触れていきたい

前の格闘評を要約したなら、リアリズムと見栄えのバランスが悪くブルース・リーとは真逆の方向性という所か
ハリウッド以外でケイシを本格的に扱った映画に、福島のローカルヒーロー映画『ライズ-ダルライザーTHE MOVIE』がある。

アクション指導と殺陣の振り付けはビギンズのメイキングでも技を披露した、創始者の一人であるフスト・ディエゲス氏がスペインから来日して担当した。
発案者の一人が関わっているだけあって、ケイシの特性がダークナイト等と比べても遜色無く出ている。

最初の格闘である多人数でのリンチに近い立回りは好みが分かれる所だろう。
主人公はプロ未満、素人以上という設定なので其の泥臭い攻防は実写版『キック・アス』での等身大な格闘描写に近い。
終盤での多人数戦ではシチュエーションを変えて、よりケイシの特性を活かした攻防を見せる

最初の広い場所での格闘戦は不利だったが、狭い通路ではカウンター技が決まり易い為に相手側が混乱に陥り、その場を支配し有利に働く。
濡れた地面を膝のスライディングで滑り始める出だしがカッコいい演出だ
同じく狭い場所で戦う階段での2対1の攻防は其のフィールドを有効に使い、片方の相手を遮蔽物にして同時攻撃を防ぐ。
多人数戦に対応する、実践リアリズムの表現としては見事な描写だろう。

三連肘打ちコンボを決める際の3つに区切る、カット割編集が的確でなかなか良かった。
フィールドの違いで状況変化を演出した似たような映画の例では『ザ・レイド』より前にイコ・ウワイスが初主演した『ザ・タイガーキッド』がある。

狭い路地裏では敵に囲まれて敗北するが、次からは自分の有利な場所に誘いだし状況を操作する。
主人公の強さのバランスをリアルに描いた珍しい映画だ。
そして映画『ダルライザー』における「見映えの殺陣」の点だが、これに関しては厳しい出来だと言わざるを得ない

振り付けを担当したフスト氏の能力は、実践武術の師範としては優秀だ
だが映画業界を本職としたファイトコレオグラファーやアクション監督と比較したなら、やはりノウハウの方向性が違う
マーシャルアーツ映画とは基本、武術の型を基盤として、如何に実践技術を見映えとして昇華するかが重要点だ
香港なら其の創始を1人でこなす殺陣師もいるし、ハリウッドなら2人と云わず何人係りで取り組んだりもする
実践武術のノウハウ担当者にはバディとして本職の業界人殺陣師が付くのが理想だろう。
ケイシという動作の無駄を省いた武術の型は、見映えとしては表現しにくいという理由もある。現にダークナイト三部作でも苦心が見られた。

『ダルライザー』は格闘の演出面ではダークナイトよりも工夫があった点では、とても良かった。
劇中、フスト氏が師匠役でケイシを披露して闘う等の見所もある。
次にケイシを扱った映画で実践技、見映え共に両立させた見事な映画が2012年にトム・クルーズが主演した『アウトロー』だ。
ケイシの合理的な特色、多人数戦を的確に再現した映画はコレがダントツだろう。
数々のアクション映画に慣れたトム・クルーズの動きには当然ながら見映えも備わっていた。
アウトローで最初に見せるアクションが、この相手からの攻撃に対してカウンターを決める肘打ちだ。
非常に高度な技で、古式ムエタイの型の様な予測出来ないトリッキーさがある。
恐らく、ダークナイト三部作では拝めなかったケイシの上級技であろう。
この4人を同時に相手にする立ち回りも特徴的である。
体の回転を利用してのカウンターや、動作の流れが全て一連となっていて合理的だ。

正しくプロの凄技が再現されていて、ビギンズのメイキングにあったケイシの創始者アンディ・ノーマンとフストの演武を映像表現として見事に昇華したと言っていい。
ここで一つ、見映えの比較例の為にダークナイトの表現方法を見てもらいたい。

敵の膝関節に攻撃する際に少しの間が生じているのが分かるであろう。
自分はコレをアクションの流れを失わせる"停滞"だと認識している。
作り手側が分かり易さを視覚化して伝える為に、観てる側へと目線を下げ過ぎた結果だ
そしてトム・クルーズにも同じく、相手の足に拳を振り下ろして攻撃する際に一瞬の溜めモーションとしての間が存在する。

コレは一連の速い動きを"区切る"見せ方であり、視覚表現としては「見映え」の範疇に含まれる。
両者とも僅かな動きとタイミングの差だが、感じる印象は大分違うであろうと思う。
見応えのある実践技も速さが常に続けば追い辛くて目も疲れる。
速過ぎてはいけないし、勿論遅過ぎても駄目だ。
日本の時代劇から始まり、香港アクション映画で培われた「見映えの殺陣」は、そういった実践リアリズムの微妙なバランスを補う為に存在しているというのが、自分の兼ねてからの持論である。
基本、殺陣における見映えとは香港カンフー映画が突出しているイメージだが、ハリウッドにもジェイソン・ボーンシリーズやジョン・ウィック等の動作設計がリアリズムと見映えを両立させていた。

その中でも特に見映えの殺陣が、実践リアリズムよりも際立っていたハリウッド映画の例を見てみよう。
1998年に公開された、ウェズリー・スナイプス主演の『ブレイド』は見映え演出の塊の様な映画だ。

日本の古典時代劇からなる誇張表現の発展系であり、スナイプスが立ち回る此の優れたキメの動作パターンは誰が見ても「カッコ良い動き」に映るだろう。
実際ブレイドの演出は見映えの殺陣の紀元である、歌舞伎の「見得」に近いものがある。
カメラが寄り顔を観客の方に向けるという表現は、日本独自な古典芸能のアプローチだ。
同じアメコミ映画でも、こういった魅せ方をするのは他に無いだろう。
同じく演出に見得が見られる映画が2002年の『リべリオン』だ。

ガン=カタという架空の武術には、リアリズムよりも見映えを優先した要素が多く含まれている。
其の見得の演出の特性からか、アメリカ本国よりも日本でのカルト人気が強いイメージがある。
一見荒唐無稽に見えるガン=カタだが、日本刀での立ち回りは座頭市からの影響を受けており、一対人戦での技の型は大極拳とも似ていて化勁の技術も見られる。

化勁とは相手の攻撃を腕の回転動作で、いなす中国武術では全般に使われる基本功だ。
こういったカッコ良さの見映えに、実践リアリズムを僅かながらに織り込んだ殺陣のバランス加減が絶妙であり、『ジョン・ウィック』のリアル寄りであるガンフーアクションとは、また違った配合ぶりが特色だ。

見映えと見得の重要性を示したという意味では、とても好みな映画である。
とは言え自分の好みは基本、実践リアリズムを主体とした武術の描写にある。
マーシャルアーツ映画の歴史はとても長いが、合理的な戦闘術を的確に表現出来た映画は実はそう多くはない。

無駄を省いた実践技に見映えを織り込むという試み自体、難易度が高くそうそう出現するものではないのだ。
70~80年代からの香港カンフー映画は実践武術と呼べる、洪家拳、大極拳、八卦掌、蟷螂拳、少林拳、詠春拳、形意拳などが使用されてきた。
だが武侠物の流れが終わると共に、80年代半ばからはジャッキー・チェン率いる成龍班やサモハンによって、現代劇からなる新たな違う型の動作設計が考案された。
1984年の『スパルタンX』で使われる格闘技はロングフックを多用するパンチや、テコンドーやムエタイとも違う足技等フランスのサバットを主体としたキックボクシングに近い

コレにリズムとテンポを織り込んだ殺陣が香港アクションのスタンダードとなり、中国武術が使われないカンフー映画が数を増やす
派手な動きの完成形である、ジャッキー・チェンの映画から始まるリズム式格闘は「ダンス」と形容され、あるいは揶揄もされてきた。
しかし視覚的に人を惹き付け易い大きな技の振りかつ絶妙な速さのモーション等、格闘映画ではこの見映えの動作設計が最も世界的に普及したのは揺るぎ無い事実だ。
ブルース・リー以外での実践武術を売りにした俳優は他にもチャック・ノリスがいたが、ストイックで硬派な技のスタイルを最初に魅せたのはスティーブン・セガールだ
合気道の小手返しから始まるリアリズムな技は、カンフー映画には無かった近接格闘術=CQCのイメージを早くからハリウッドで実践していた
実践リアリズムを主体に見映えも成立させた映画に2017年の『RE:BORN』がある

本来ならば地味に映り易い、無駄を省いた近接戦闘術ゼロレンジコンバットの描写だがドニー・イェンに師事もした監督下村勇二の設計師としてのノウハウと坂口拓の優れた動作によって、見事に見映えの実践術へと昇華した例だ
カンフー映画は数多の中国武術も扱って来たと書いたが一つだけ例外のある武術がある
サンデーの漫画『拳児』で紹介されて以降、認知度が高まった中国河北省の武術、八極拳だ
格闘ゲーム『バーチャファイター』や『シェンムー』アニメ『戦姫絶唱シンフォギア』でも取り扱われ、一部ではカルト支持がある
日本では多くのメディアで扱われた八極拳だが格闘映画で採用されているのは、阿部寛主演の『拳鬼』(1992)に『グランド・マスター』(2013)と世界でも2つしかない中国では非常にマイナーな武術である。
其の実用的で一撃必殺な技が多いシンプルな型は、殺陣の連続動作には組み込みにくいという例の一つだ
基本、日本の時代劇も見映えの方向性を特化させた殺陣であり、実践剣術を披露したものは数少ない。

だが2018年に岡田准一が主演した『散り椿』には香取神道流と思しき、実践リアリズムの型が随所に見られた。
長い時代劇の歴史の中で、岡田准一のアプローチは更なる発展と進化の期待を抱かせてくれる
とまあ、リアリズムと見栄えの融和性の語りは、こんな所だ
まだまだマイナーな未知の武術が世界中に数多く存在しソコに上手く見映えを盛り込んでいくのが今後のマーシャルアーツ映画発展の課題だろう
様々な武術に精通しているのと技術の優れたアクション監督は必ずしも=では無いので難しい所ではある
自分としては空手の発展武術である躰道(たいどう)なんてのを映画の殺陣で観てみたい。

カポエイラの様なアクロバティックな足技を使うが、空手技らしい剛の射出力も備える。
海老蹴り等の技は変則的過ぎて初見では余程の反射神経が無ければ、かわせないであろう
派手でありかつ実践的な武術だ。
見映えの『リべリオン』と実践リアリズムの『RE:BORN』
両極端に例えるならマーシャルアーツ映画の好みは、主にこの2つのスタイルに分けられる。

長い歴史なだけあって、マーシャルアーツ映画とは人によって好みが分かれるジャンルだ。
自分としては、どちらにしろ其々の魅せ方での興隆を望みたい。
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